猫を起こさないように
日: <span>2000年10月29日</span>
日: 2000年10月29日

東京オフ始末書

 『いつだって、おたくの末路は悲惨だ』
 「(やたらと煙草をふかしながら、防衛的に足を組んで)だって、小説ったって、ジュヴナイルですよ? いいとこ、田中芳樹が限界じゃないですか。例えば40歳になって、そんな頭打ちが待ちかまえている人生なんて、まっぴらですよ。私だったら、そんな未来しか無いとわかったら、オマンコに顔を突っ込んで窒息死しますね。これホント、”膣”息死よね!(椅子ごとひっくりかえって馬鹿笑いする)」
 『誰も、最も濃いおたくであり続けることはできない。いつかはより濃いおたくに敗北し、企業の食い物にされる受動的なサラリーマンおたくになり果てていく』
 「(分厚いレポート用紙を閉じて眉根を押しもみつつ)やれやれ、ようやく全登場キャラの隠し・正規を問わないすべてのイベントテキストと、誕生日から性的嗜好に至るまでのプロフィールをこの灰色の脳細胞で把握することに成功したよ。どれ、久しぶりにネットでものぞいてみるか…(突然のけぞって)新作発売後半年を待たずして続編の発売だって!? (メーカーHPの商品説明を読み上げて)『総出演キャラ100名超、陰唇の裏にあるホクロまで作り込み、よりリアルな個性化に挑戦!』 ク・ク・ク・ギャヒーッ!!(藤子A不二夫的な絶叫とともにてんかん発作に似た動作で両手両足を胴に引きつけながら泡を吹きつつ後頭部方向へブッ倒れる)」
 『それでも彼らが爆発し続けるのは、やはり、おたく、だからなのか』
 「つい先日、商業的な婦女子(この表現が持つ隔靴掻痒の婉曲性を楽しめるほどには、読者諸氏の精神と性器は成熟していますよね?)と金銭を媒介にして懇意にする機会を持ったわけなんだけど…いやぁ、なんていうか、オマンコって臭いね(爆)。あのさ、8ビット時代は現実に満たされない性欲の代償行為としてエロゲーやってるのかって、どこか後ろめたかったんだけど、今回わかったわ。やっぱりオレ、現実の女、嫌いだわ(爆笑)。これからどんなにエロゲーがリアルになっていっても、オマンコの臭いだけは再現しないで欲しいね(核爆)」
 ◇登場人物紹介
 小鳥さん……ネットでは大いばり、現実では鬱病・引きこもり・包茎の三重苦についつい俯きがちの典型的なネット弁慶。ネットワーク存症に、最近はアルコール依存症が加わり、自我領域を現実と虚構の双方からむしばまれつつある過去の巨人。
 ノッポ………他者との距離を肌感覚によって把握するという、社会生物として当たり前に備えているべき固有の能力を、ネットワークにより蝕まれ、減退させられ、ついには粉々に破砕されているため、常に誰に対しても不必要なまでに慇懃な態度でしか接することできない哀れで矮小な犠牲者。身長だけが特徴の学生。
 ユニクロ……現代文化に代表される、個を主張しないことで逆説的に個性を際だたせる類のこざかしいやり方で生きる、文字通り頭の先から足の爪の先まで一寸たりとも”現代の若者”という規格から外れない、誰もが存在するだけで持つ相手の自我への脅迫をフェミニンな弱々しい微笑みで必死にうち消そうとする、最も連続殺人や幼女誘拐などをやってのけそうな青年。
 サムソン……名前は忘れたが、何とかいうオンラインゲームに耽溺し、誰もが生来等分に与えられている若さと才能を日々摩耗させ続けるヒヨコ頭のパラサイトシングル。同時に、気のおかしくなるような黄緑色の服とパンパンのおねえさんが着るようなコートに身を包んで大いばりのネット臭ふんぷんたる僕らのファッションリーダー。
 あとひとり誰かいたような気がするが、忘れた。気のせいかもしれない。
 実際のところ、このオフ会はあらゆる意味で私に何の益をも与えなかったのだけれど、持ち前の強迫神経症的な律儀さから、ほとんど忘備録としての意味合いでこれを記すことに決めた。20万ヒットになんなんとするサイトにあるまじき内輪ぶりだと憤慨される向きもあろうが、現実で充足されないがゆえにネット社会にほうほうの体で逃げ込んで互いに傷をなめあっているだけのいじましい、他力本願的に救われたい、他力本願的に癒されたい人間たちの集まりを、こともあろうにうらやましく眺めている方々がおられるようなので、私はその盲をとくためにもこれを書かねばならないと思いたった。本当に、思い返すだに寒気が背筋を走るような、いじましい、ひどくいじましい集まりだった! だからあなたたちはネット上にある狭い狭いコミュニティの仲良しグループぶりにほぞをかんで、勤務中に社のパソコンから、未だ彼らの持つネット上での既得権を持っていないように思える自分のHPを、上司の目を盗みながらこそこそ更新したりしなくてよいのだ。私はただ克明に真実のみをしるそうと思う。ネットワナビーの諸氏は、これをあますところなく読み、吐き気をもよおすその醜悪な現実に失望して頂きたい。その失望こそが、私のねらいだと言っていい。
 その日、私は渋谷のモアイ像の前にひとり立っていた。東京に不慣れな私は、持ち前の俯きがちな内気さから誰に尋ねることもできず探しあてた案内板の表記が”モヤイ像”だったことに不安を感じつつも、待つこと以外何ができるわけでもなく、冬の早い日暮れに身を切る冷気の中、ただ立ちつくしていた。「小鳥さんのオフ会なのだから」と持ち前の気弱さに反論できないまま決定したところの目印である”nWo”とマジックで書きなぐった紙片を胸元に掲げ、周囲を取り巻くそういった素養の無いものたちの目からはずいぶんと奇態に映っているだろう自分自身の大馬鹿三太郎ぶりに深刻な吐き気をもよおしながら、うかれたネットハイでこのような無謀な企画を放言してしまったことをもう絶望的に後悔し始めた頃、頭ひとつ高い身長で人波をかきわけつつ、ノッポが現れた。「ヤァヤァドーモドーモ」という発話とともに、日本人の慇懃さを外国人の視点から客観的に戯画化したような国辱的振る舞いで近づいてくるその姿に、私はもう手にした紙片を放り出し、少女のように泣きじゃくりながら大阪へ逃げ帰ってしまいたいような気分におそわれた。ネット者特有の気づかなさで、ノッポはのけぞるくらいまでの距離に近づいて来、右手を差し出してきた。どうやら握手を求めているらしい。午後5時半を回った渋谷の、脅迫的なまでの人々のひしめきの中で、眼前にいる典型的ネット男と手と手を握り合うなどという恥辱プレイを強要されなければならないどんな罪を私が犯したというのか。視線恐怖症の私はわずかに目を反らしながら、これ以上の躊躇は無いといった素振りで嫌々片手を差し出したが、ノッポはネット者特有の鈍感な現実感覚で思い切りそれを握り返してきた。その手は外気の低さにも関わらず、なぜかわずかに湿っており、私は離した手をノッポに気づかれないようズボンの尻で拭いつつ、いつも持ち歩いているウェットティッシュを持ってこなかったことを激しく後悔した。こいつはあとで呪殺だ。
 「アッ、モシかして小鳥猊下ですヨネー」と左の表記のまま発話しつつ、約束の午後6時をわずかに前にして、ユニクロが現れた。普通のまっとうな社会人が時間を指定して待ち合わせをする場合、最低その15分前にやってくるのが暗黙のルールだろう。全く悪びれた様子の無いこの外見的特徴に乏しい青年に懇々とそれを諭してやろうかと口を開きかけるが、自分の失っているものに気づいた様子の無いうすら笑いを浮かべているので、もう圧倒的に他人に干渉するあの気力を失い、そのまま放置することにした。どうせ、これを限りの出会いだ。「イヤァ、小鳥なのにデカいっすネー」謝罪も無いままに発話したその言葉のうすらトンカチぶりに、私は頬を引きつらせながら、自制心を失わぬよう拳の内側で手のひらに爪を立てた。こいつはあとで呪殺だ。
 ”三人寄れば文殊の知恵”と古人は言ったが、ネット者をいくら積み重ねても何かの建設性が生まれようはずがない。三人が集まったことにより、ふんぷんたるネット臭が周囲に漂い始める。互いに知り合いだろう距離に立ちながら、全く会話を交わさない私たちに、周囲の人間すべてが不審の視線を向けているような気がしてならない。会社帰りのアバズレOLどもの癇に障る笑い声がすべて自分たちに向けられた嘲りに聞こえてくる。約束の時間をたっぷり3分は経過しているというのに、まだ参加者の全員が集まっていないとはいったいどういう了見なのか。自分の生み出してしまったこの惨めな状況に、もうなんだか絶望的に消え入りたいような気分になってきた。私の煩悶に気づいたふうもなく、ただぼんやりと気詰まりな沈黙を潰す努力も無いまま両脇に立ち尽くすデクノボーどもに対して、吐き気と目眩を伴った怒りを覚える。こいつらはあとで呪殺だ。
 もう致命的に手足が冷たくなり、頭の中で帰りの新幹線の時刻表を繰り始めたころ、あやしい身なりの女がふらふらと夢遊病者の足取りで近づいてきた。明らかにかわいそうな人か、立ちんぼの人かのどちらかだ。左右の有象無象に視線を向けるも、この終始痴呆めいた表情を顔面に張り付けたチェリーボーイどもに、何かこういう状況への対処ができるとは到底期待できない。私がそういう目的の集まりではないことを万勇を鼓して引けた腰とともに伝えようと息を吸い込んだところへ、その女はもごもごと自己紹介をした。聞くと、驚いたことに誰もが名前を知っている少し大きなサイトの運営者で、今日のオフ会の参加者だと言う。私は大幅の遅刻に少しも悪びれないその女の目に、ネット上でのパワーバランスを現実に持ち込もうとする無神経な優越を読みとった。他人への想像力の欠如と自我肥大、私は自己防衛を兼ねてそう決めつけることにした。加えてこっそりサムソンと恥ずかしいあだ名をつけて、以後主に心の中で呼びかけてやることに決める。サムソンは私たちの顔を右から左をへ眺め、そして左から右へ眺めると聞こえよがしにひとつ大きなため息をついた。合コンで女子参加者が男子参加者にやるような不躾な具合で、だ。こんな長大な遅刻をしておいて、オマエはいったいどこの何様か。私はサムソンの髪をひっつかまえて、モアイ像のざらついた表面に血の出るくらい、泣き叫んで許しを請うまで打ち付けてやろうかと思ったが、そうしなかったのは単にサムソンの頭髪がまるでサムソンのようにスポーツ刈りだったからだけだ。そんな激しい水面下のやり取りに気づいたふうもなく、ノッポが相変わらず癇に障る慇懃さで「じゃー、そろそろー」と移動を促すが、私のはらわたは深甚な瞋恚でたぎっていた。こいつはあとで呪殺だ。
 あとひとり誰かいたような気がするが、忘れた。もしいたとしても、忘れるくらいだからきっと大したことのないヤツに違いない。
 サムソンを加え、もうどうにも隠しようのないほど漂うふんぷんたるネット臭の中、私は出来るだけ目立たぬように身を縮めながら有象無象の後をついていくが、ほどなく今日のオフの受け入れ側主幹であるところのノッポが、どこの店にも予約を入れていないことが判明した。私は内なる激昂を押さえつつ、寒さと空腹に尖りきった神経にできる限りの穏やかさで、事前に時間と人数をあなたに伝えておいたのは何のためなのですかとノッポに婉曲的に尋ねたが、裸の大将を思わせる精薄的な微笑みを微笑んだだけで何も弁明もしようとせずに、自分の重大な失態に対する追求をそのまま流そうとする。苛立ちにゲロを吐きそうになりつつも、関東の人間はきっと関西の人間とは違うOSで動いているのだろうとコンピュータ少年らしい取りなしを自分で自分にしたが、拳の中で手のひらに食い込む爪の先はもう手の甲の骨に届かんばかりだった。最終的に場所を見つけることができたからよかったようなものの、私は曲がりなりにも歓待される側のゲストであろうに、なぜこんな屈辱的な扱いを繰り返し受けなければならないのかと、もう絶望的に死にたい気分になっていた。こいつはあとで呪殺だ。
 当初の開始予定時間を一時間近くオーバーした渋谷は場末の居酒屋で、私は死にたくなるような気詰まりな沈黙に全身全霊で耐えていた。注文を受けに来た店員にした発話がその場に流れた唯一の意味のある音のやりとりだった。後ろの席から聞こえてくるサラリーマンの馬鹿騒ぎが無性に癇に障る。わざわざ東京くんだりまでやって来て、こんな精神的虐待を受けなければならないどんな罪を私が犯したというのだろうか。私のファンというくらいなら、唐突に私のサイトの引用をひとくさりしゃべってみたりしてはどうなのか。あらかた注文の内容がテーブルを埋めても、何か流れのある会話が始まる気配は微塵も無い。皿やグラスの触れあう音が妙に大きく響く。隣に座ったサムソンの側から流れてくるもうもうたる煙草の煙と、時折聞こえる軽い舌打ちが私を追いつめる。何度も対面に座ったノッポとユニクロに目線を送るが、二人は箸袋でする折り紙に夢中だ。間の持たなさに空けたビールのグラスがすでに大量にテーブルを占領しているが、こんなに酔えないアルコールは初めてだった。東京のビールは製造方法が違っているのだろうかと思わずラベルをわざとらしく確かめたりしたが、誰も私のする動作に突っ込んでこない。場の空気を暖める努力を最初から放棄している人たちの中で、私は関西人らしい沈黙恐怖症にほとんど肉体的な切迫を伴った身をよじる苦痛を味わっていた。これは歓待ではなく拷問だ。耐えきれず、私は万勇を鼓して引けた腰とともに卓上の皿に乗せられたウインナーを箸で転がしながら、誰とも目を合わさずに「チ、チンポ?」と脅えた子鹿のように発話してみた。横目でそれを見ていたサムソンが露骨に顔をしかめ、対面の二人は相変わらず箸袋でする折り紙に夢中だった。この小さな事件で、私の存在は完全に封殺された。私は私の感情がかろうじての均衡を崩して決壊する前に、熱い目頭を抱えてトイレに立つことを告げた。こいつらはあとで呪殺だ。
 トイレで何度も顔を洗い、赤い目をした鏡の自分に幾度も励ましを入れてから、痛む胃とともにトイレの扉を開けると、サムソンを中心としたたいへん楽しそうな歓談の様子が視界に飛び込んできた。私がビール臭い尿を放出するわずか数分の間にいったい何が起こったのか。思わず怒りにゲロを吐きそうになるが、柱の陰でしばし見守ることにする。席では、私の不在を誰も気にとめることもなく、時折笑い声すらあがっていた。血の出るほど下唇を噛みながら尻を突き出してうなっていると、店員のおねえさんに露骨にイヤな顔をされたので、しぶしぶ席に戻ることにした。しかし、私が席についた途端に、示し合わせたように場は元の冷たい空気を取り戻す。そのあまりに唐突な変化ぶりに、私は思わず首をまわして店内にある隠しカメラを探したりした。
 しばらくして、突然サムソンが誰も座っていない席に向けて”受信したキチガイ巫女”としか形容のできない様子で楽しげに、これまでとは想像もできない陽気さでラブクラフト談義を始める。初めは呆気に取られていた私だったが、そのあまりに愉快そうな会話に耳を傾けるうち、誰もいない虚空に対してふつふつと激しい嫉妬が湧いてきた。私は主張しすぎない、だが聞き取るのには充分の低い声で、「ネクロノミコン?」などと呟いてみるが、見事に黙殺される。対面に座った二人はビール瓶でするリコーダーに夢中になっており、私の呟きを拾おうともしない。こいつらはあとで呪殺だ。
 それから数分後、唐突に虚空との対話を中止したサムソンは、みるみる表情を消し、また不機嫌に煙草をふかしはじめた。対面に座った二人はウーロン茶についてきたストローの紙袋で伸び縮みするヘビを作るのに夢中だ。私は自分の持つ現実への干渉力の無さを改めてまざまざと感じさせられ、泡の抜けきったぬるいビールに口をつけながら、深く静かに絶望していった。東京、来るんじゃなかった。オフ会、調子にのるんじゃなかった。そしてこいつらは全員、末代に至るまで呪殺だ。
 勘定を済ませて店を出ると、誰もいなくなっていた。私は、もう誰の目もはばからずおんおんと男泣きに泣きながら新宿のホテルに逃げ帰った。部屋のベッドに横たわると悶々とした気持ちが高まって来、急に有料チャンネルの小津安二郎が見たくなったので、ビデオカードを自販機で購入しようとするが、財布には一万円札しか入っていなかった。両替を頼んだフロントの女が、どうせアダルトチャンネルを見るためなんでしょといったうすら笑いで一瞬私を見たような気がした。こいつはあとで呪殺だ。その晩、小津安二郎を鑑賞しながら、私は2回オナニーをした。
 そのまま寝込んでしまったらしく、翌朝目が覚めると陰毛が干からびた精液で張り付いていた。
 今回の東京行での全できごと終了。
 追記:実は上記以外にも二人参加を表明した者がいた。が、当日思いきり約束をブッちぎり、そして未だ謝罪どころか一通のメールすら届いていない。社会人としての常識をどうこう言う前に、人間としてどうだろうかと思う。こいつらは間違いなく呪殺だ。